" /> 自由な学びは、自由から始まらない。 | こぐまブログ

自由な学びは、自由から始まらない。

総合的な探究の時間。

個人探究のテーマ設定のために

4人ずつ机をグループの形にくっつけて、

「自由に話し合っていいよ」と伝える。

すると、机をくっつけたグループから、一人が友達のところへ移動する。

そのうち二人、三人……。

気づけば椅子は足りず、床に座っておしゃべりを始める。

調べたり、テーマ設定のための相談ではなさそう。

「これは探究なのか?」

学びのための場が、友達との雑談の場に置き換わってしまった

今起きていることを整理すると、

生徒の目的は、

「楽な友達と一緒にいたい」「楽しく話したい」。

先生の目的は、

「設定したグループの中で協働して学ぶこと」。

つまり、

生徒が求めていたのは、「自由」そのものではない。

楽な友達と一緒にいる安心感である。

一方、教師が守りたいのは、学びが深まる場である。

両者の目的は、少しずれていた。

だから「地べたに座る」が問題なのではなく、

学びのための場が、友達との雑談の場に置き換わってしまったことが問題なのである。

行動原則で考えるなら、

「自分を大切にする」

→ 自分が学ぶ時間を大切にしているか。
→ 友達と話したいだけになっていないか。

「相手を大切にする」

→ 自分が勝手に移動することで、元のグループは困っていないか。
→ 話し合いに参加できない人はいないか。
→ 周囲の集中を邪魔していないか。

「学びを大切にする」

これが一番重要。

探究では話していい。

でも、

「誰とでも話していい」

「好き勝手歩いていい」

ではない。

学びを深めるための話し合いと、

友達と雑談することは違うということ。

だから原則で言えば、

「学びを深めるための移動なら価値がある。

でも、楽な友達のところへ集まるだけなら、

学びを大切にしているとは言えない。」

となる。

もう一つ、この学校の場合、

かなり大きな問題がある。

この学校では、

「ルールが曖昧になると、一気に崩れる」傾向がある。

一人が動く。

二人が動く。

「あ、いいんだ」

気づけば、みんなが動いている。

という社会的伝染が起きやすい。

だから先生は

「一人ぐらいいいか」

ではなく、

学びの場を守るために最初の一人を止める必要がある。

これは管理したいからではなく、

みんなの学びを守るため

一方で、

いつも社会的伝染がおこるとは限りらない。

例えば、

ある生徒がいつものように

離れた友達のところへ移動したとしても、

周囲の生徒が「ああ、またあの子ね」

「先生も状況は分かっているよね」

と受け止めていれば、

その行動は「例外」として扱われ、

誰も後に続かないことがある。

だから、教師の判断は単純ではない。

目の前の一人を止めることが、

「教室全体の学びを守ること」

につながる場面もあれば、

そのやり取りに時間とエネルギーを使うことで、

かえって「授業の流れや雰囲気」を

壊してしまう場面もある。

大切なのは、

「ルールを一つ残らず守らせること」

ではなく、

「その場で何を守るべきかを見極めること」。

教師が本当に守りたいのは、

一人の行動そのものではなく、

教室全体の学びの場なのだと思う。

自由は、自由から始まらない。

総合的な探究の時間だから、自由に話し合ってほしい。

自分たちで考え、自分たちで調べ、自分たちで学んでほしい。

そんな願いは、教師なら誰でも持っていると思う。

でも、今回改めて感じたことがある。

「好きな友達と話してもいい」

「好きな場所へ行ってもいい」

「好きなように活動してもいい」

それは自由ではない。

学びの目的が失われた瞬間、自由はただの放任になってしまう。

自由の前に、原則がある。

最近、考えている「行動原則」。

自分を大切にする
相手を大切にする
学びを大切にする

原則は、

「あれをするな」「これをするな」

というルールではない。

自分で判断するための基準である。

「今の行動は学びを大切にしているだろうか」

そう考えられるようになれば、

先生が細かく指示を出さなくても、

自分で選択できるようになる。

もちろん、原則も教師が一方的に押し付けるだけでは意味がない。

子どもたちと共有し、納得しながら育てていけたらと思う。

創造の前に、土台がある。

私たちは、つい「考えよう」「創造しよう」「主体的になろう」と求めてしまう。

でも、その前に必要なのは、土台。

相手の話を聞くこと。

決められた時間を守ること。

グループで役割を果たすこと。

自分で考え続けること。

こうした土台があって初めて、

自由な学びや創造的な学びが成立する。

「自由にすれば主体的になる」と、

どこかで考えていた。

今は少し違う。

自由の前に、原則がある。

創造の前に、土台がある。

教師の仕事は、自由を与えることではない。

自由が成り立つ原則を育てること。

創造が生まれる土台を築くこと。

その積み重ねの先に、本当の意味での主体的な学びがあるのだと思う。

だから私は、総合的な探究の時間で育てたいのは、

探究力だけではないと思っている。

自由を支える原則。

創造を支える土台。

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